ありのままで暮らす?
某人気アニメの歌で「ありの〜ままの〜」という歌があります。僕も大好きな歌です。
あのアニメ以来なのか元々なのか、「ありのままの自分」を曝け出すという風潮が強くなってきたなと感じています。
字面だけで都合よく解釈したら取り返しのつかないことに…なるかも
人と話していて、時々気になるのですが…。
「ありのままの自分」というものを、悪い所も含めてこれが自分だと。取り扱い説明書ちゃんと読んで下さいねと(そんな歌もあったような)。
つまり、「欠点も個性なので直す気ありません。ありのままなんで」と捉えてる人がいます。
これは向上心がある人とそうでない人で異なるのですが、前者は目標(ゴール)が定まっていて猪突猛進しているように感じます。ちょっと強引な言い方ですが「邪魔をするな!」といったところでしょうか。
僕が気になるのは後者です。
勉強や運動、学ぶことや鍛えることに対する労を惜しんで進歩がない、怠惰なパターンです。
怠惰な自分もありのままの自分。自分はありのままに生きています。
というような事を言う人と立て続けに会い、ずいぶん久しぶりの再会なのにがっかりし、疲れました。
理想の自分こそ「ありのまま」の姿
僕はそう思ってきました。
税理士試験に何回失敗しても、そんなポンコツな自分が「ありのままの姿」ではなくて、税理士として人様の役に立っていて、充実した毎日を送っている自分こそが「あるべき自分の姿」、ありのままの姿なのだと。
アナ雪の歌詞も、読んでみると向上心が伺えます。
「あるべき自分の姿」を明確に思い描くことは旅行の行き先を決めるのと同じです。
ハワイに行く!と決めなければいつまでもハワイに行けません。当然ながら。
決めたら、日程を考え、飛行機やホテルの予約をし、着ていく服を選び、ハワイのどんな場所に行こうかなと色々な道が広がっていくわけです。
人生も同じです。
今いる職場、着ている服、食べたもの、選んだパートナー、独り身でい続けること…すべて自分の意志で決めた結果が今この瞬間の自分です。
それを「ありのままの姿」とも捉えられますが、今もし満たされていない現状があるなら、こうありたいと願う姿こそありのままの姿だと。
そう思ってみてはいかがでしょう。
「果報は寝て待て」という言葉がありますが、運を引き寄せるのも日頃の行い次第です(この辺のことはゲッターズ飯田さんのInstagramなどを見ていただければ)。
いつまでも寝ていては取り残される。それが今の時代です。