返事だけは立派な人
仕事でもプライベートでも、返事だけは一人前な人に出くわしたらどうするか。永遠の課題です。
レスポンスが良いので、その瞬間は好印象を受けるので信用してしまうのです。
「是非お願いします!」とか「またお願いします!」とか「次は私が!」とか。
これを「社交辞令」と言うような人は…いや、単なる嘘つきでしょう。と。
僕の場合はどんなに遠方の方であろうと「是非また」と思える人と出会ったら必ずまた行きます。
それはあくまで僕自身のポリシーなので、僕が勝手にやっているだけなので良いのですが、その分、僕自身に「是非、また」と言っておきながらその後に何もなかったり一方的に断られたりすると「あれれ?」と思ってしまいます。
納得のいく理由があれば気にしませんが、えてしてこういうケースでは断る理由がとても稚拙です。
なので僕はそういう相手には「手のひら返し」「嘘つき」と解釈して早々に見切りをつけてしまいます。そのような人間から得るものは「教訓」しかありませんので。
「断れない」は相手に迷惑をかける
Noと言えない日本人の典型である僕は、断れずにOKすることが度々あります。
かと言って嫌になったから途中で投げ出すということはなく、やる以上は責任を持って終えます(途中でグチやボヤきはありますが)。
それがOKを出した自分と相手への責任だと思うからです。なので、僕は心から嫌だというのでなければ断りません。「Noと言わない日本人」です。
そして、そういうことの積み重ねが「信用」や「信頼」を築いていくのだと思うのです。
信用を得るには10年かかりますが、失うのはたった5分。
GACKTさんの言葉ですが、まさにその通りです。今回は「秒」でしたが。
おわりに
最近、仕事でもプライベートでも短期間でバタバタとそういう体験があったので…毒を吐きました。
ときに「こんなはずじゃなかった」「思ってたのと違った」ということはあります。
でも、その時OKを出したのは他ならぬ自分。
「断り上手」は大切です。
猪突猛進で安易にOKサインを出して、後からやっぱやめた。では信用を無くします。
最初が好印象ほど落差が大きいのでさらに相手を落胆させるでしょう。そうなったら「仏の顔も3度まで」は通用しないかもしれません。少なくとも僕は仏ではないので。
自身が放った言葉に責任を感じられない人間にはなりたくないものです。
僕が日頃から「他人に期待しない」と言っているのは、こういう経験をたくさんしてきたから。だから最初から自分を曝け出してあとは相手に判断を委ねる。そうすれば選ばれなくても傷つきませんので。このブログもそういうスタンスです。
中途半端に懐に入り込んできてグサってのは暗殺者か!と。ダメージ大きいです…。
でも、そんな簡単に裏切るような人間になるくらいなら裏切られる側でいい。10代の頃、L’Arc〜en〜Cielのtetsuさんの言葉に衝撃を受けて、それ以来ずっと僕もそのようなスタンスを貫いています(それ故に都合よく使われたりカモにされたこともありますが…)。
「約束」というのは親しき仲であっても軽いものではないはずです。まぁ、そう思っていてもこうなってしまうのは…ひとえに僕の人徳の無さなのでしょう(泣)