品質だけを追求しない

コロナ禍以前から思っていたのですが、今の時代、伝統工芸品的なものが昔ほど売れていないようです(昔はどの家にも木彫りの熊かアイヌ人、ガラスケースに入った人形があったものです)。

買うのは日本人よりも外国人の方が多く、海外に販路を見出そうとしたりインバウンド需要を狙ったりしている職人さんが周りに何人かいます。

しかし、今はウィズコロナの時代。インバウンド需要が回復するのはまだ先です。

個人的には工芸品は大好きなのですが、一人がいくつも買う物ではありません(裕福だったら別ですが)。

技術の粋を集めた工芸品はどうしても相応の値段になります。大量生産もできませんので。

近頃は若いうちから住宅ローンを背負う人が増え、贅沢品に回すお金がない人も多いでしょうし、100均やスリーコイン等で品質はさておき見栄えの良い物が多いので、それで良しとする人が増えています。

街行く人の身なりや繁盛してる店、そういった人の動きを見ているとその辺のことがよく分かります(人類皆兄弟を感じられます)。

安価でまぁ良い物が溢れていますし、フリマアプリの台頭で中古品に対するハードルもずいぶん低くなったので、皆の消費に対する考え方が昔と大きく変わったと思います。

つまり、品質に拘るだけでは売れないということです。

品質に拘るということは、手間暇かけて技術の限界に挑む。完璧な物を作って、売る。ということです。

ただ、それでは値段が高い。今の状況下でそこにお金をかけられる人はそんなに多くないでしょう。

それでなくても事足りる、代わりの物がいっぱいあるので。

しかもそれはネットで簡単に手に入ります。安くて簡単。現代人はそっちに走る人が多いかと。

飲食の世界でもランチタイムやテイクアウトの安い時は行っても、夜の時間帯は高くて行けない。100点でなくても、安くて60点くらいならそっちでOK。

行列の店、いつも駐車場が満車の店を見てみればあぁなるほどなと思えるかと。

長年やってる個人店の割烹や天ぷら屋、寿司屋、お洒落なイタリアン、そういった比較的お高めの店が、固定客でお金に余裕のある高齢層がコロナで外に出なくなったので未だ夜の客足が戻らないと言っていました。

一方で回転寿司はいつも外で待ってる人がいる。

ラーメン屋や小洒落たカフェは御飯時には満席だけど、鰻屋は空いてる。

食事で言えば一食1,300円以内でしょう。1,500円超えたら「高っ」と思う人が多いのではないでしょうか。

ここにヒントが隠れていると思います。

拘り尽くして高くするのも商材のひとつとして良いのですが、拘りを抑えて余白を作っておく。

「分かる人だけで良い」だけでなく「分からない人に教えてあげる」という職人気質の世界の入り口を見せてあげる。

そういうのが必要になってきているのではないかなと。

「分かる人」も歳をとって消えていきますから、受け身ではなくこちらから手の内を見せて知ってもらわなければ、次の時代を生きる世代にスルーされてしまいます。

僕ら税理士業界も、いつまでも「先生」と呼ばれてふんぞりかえってる昭和の税理士が未だに目の上のたんこぶとして君臨しています。

そういう事務所ほど、「担当の人ばかりで税理士に会ったことがない」、「上から目線」、「話しが通じない」という不満が出ていて、「そのくせ高い。だから税理士に頼まない」と。

今はソフトも優秀なので、税理士不要論者が爆発的に増えました。

確定申告も税理士に頼むより安くできてしまうようになった時代です。

そんな中で食べていくためには、あれもこれもと決算資料を分厚くして高価にしてもいけませんし、無資格者を薄給でこき使った薄利多売の価格破壊でもいけません。

一般的なお堅いイメージではなく余白のある雰囲気と余白のある拘り。

そういう所を目指していけたらなと。

びっしり文字で埋まっている本より多少余白がある本の方が読みやすいし読む気にもなる。それと同じではないかなと。

拘りに過ぎるのは自己陶酔でしかありません。客に選んでもらえてこそ商売ですので。

と、何杯かひっかけながら思った次第です。