不労所得の大切さ
ゴールデンウィーク後も引き続き緊急事態宣言が発せられたままということになりました。
仕事がストップして収入が絶たれた人がいっぱいいます。国や県の補助も一時しのぎでしかありません。食いっぱぐれることも覚悟しなければなりません。
熊本地震の被災者から得た、お金の大切さ
とある熊本地震の被災者のスピーチを聞きました。
熊本地震で被災し、3ヶ月間、避難生活を余儀なくされたそうです。
元々足があまり良くなかったそうですが、その避難生活で足の容態が悪化し、入院・手術となり働けない期間が長かったそうです。
なのに通帳のお金は増えていたと言います。
この方、本業とは別に副業があり、権利収入を確立されていたそうです。なので、その収入が毎月決まった日に入ってくるというのです。
治療費はもちろん、生活費もなんら困る事なく、今も杖を突きながらも全国を飛び回っている元気なおじいさんです。
「まさか」が現実に起こった
このおじいさんが「長い人生、一度や二度のまさかは起こる」と言っていました。
現に今、コロナショックという世界規模の感染症とリーマンショック以上の世界恐慌が起こっています。
収入が大幅ダウンし、国に補償しろという声が高まっています。
「まさか」が実際に起こりました。
国に文句を言う前に自己責任だという事を考えた方がいい
このおじいさんは「まさかは起こる」と準備していたわけです。
一つの収入源が絶たれてももう一つの収入源があるから食べていける。そういう準備です。
保険に入ってるからいい。と言ってた人が今回のコロナショックで保険が下りたのでしょうか?ほとんどの場合、店主(社長)が病気や怪我で入院した、死亡したという内容の保険か、地震や火災で社屋や商品がだめになったときの保険くらいでしょう。
ある保険会社の特別措置で、従来の傷害を補償する保険に今回のコロナが追加保険料なしで自動セットされましたが、これは感染した場合だけです。自粛してるだけでは保険が下りません。
何も準備をしていないと、こういう時に困るのです。
正しいお金の増やし方とは
近ごろ副業が解禁されました。そこで大半の人は「労働」を増やします。
時間と体力があれば大いに結構なのですが、今回のような事態が起こったり、自分の身に何かあると本業も副業もできません。結局収入が絶たれます。
最近では若くして投資をしている人も増えていますが、投資はギャンブルと同じでリスクがありますし、損したくなければ相応の勉強が欠かせません。
さらに、短期的というよりは長期。老後のためにという意識が強いのではないでしょうか。そうなると、「まさか」の時には心許ないかと。
コロナショックで収入が絶たれたから株を売ろうと思っても暴落しています。原油も暴落しています。ある程度現金化できたとしても生活費で減っていきます。
じゃあ不動産だ!と思っても、生まれた家に貸せるほどの土地があれば良いですが、そうでなければ始めるには多額の初期投資が必要なので資産家でない人には論外です。
こうなると、自分の身ひとつで雇われずお金を生み出すしかありません。
自分の強みは何か、自分にできることは何か、今までの出会いでお金のニオイがする話はなかったか…頭を使わなければお金を生み出すことはできません。
ところが、それが大変で面倒なので、ほとんどの人が雇われ人となって毎月決まった日に入金される労働の対価を「安定した継続収入」だと勘違いして、良しとしてしまいます。
これからの時代、今の仕事を定年までつづけられるという保証はありません。
実際に今回のコロナショックで予期せぬ解雇に遭ったり廃業に追い込まれた人が大勢います。
この時、労働に頼らない収入があれば、食べていくのに困る事が無かったわけです。
じゃあ何をしたら不労収入を得られるのか?
もちろん、最初から遊んでて自動的にお金が生まれるわけがありません。仕組みを作る労力、努力は必要です。お金を稼ぐとはそういう事です。
- 本業を掘り下げて、その道のコンサルになる
- 情報発信をして有料メルマガの収入や広告収入を得る
- 新たなビジネスの立ち上げに参加して権利収入を得る
どれも自分の中のゼロをイチにしなければならないので大変です。だから誰もやりたがらない。でも、やった人は大なり小なり収入を得ています(かくいう僕自身も)。
「お金を生み出す」話は日本人は「怪しい」と毛嫌いします。
なので、どこかに雇われて働き続けるか、他の大勢が売ってる物と同じ物を売っています。
これは大勢の釣り人がいる池に釣り糸を垂らしに行くようなものです。行った時にはすでに池の魚はほとんど残っていません。
魚をたくさん釣るには、まだ手付かずの池を探さねばなりません。つまり人がやってないことをやるわけです。これは楽天の三木谷社長も「誰もやってないことをやれば儲かる」というようなことを言っています。
そろそろ常識を疑った方がいい
たとえば、僕が高校生の頃はスマホどころか携帯電話すらなく、公衆電話から10円玉かテレホンカードを使い、ポケベルにカタカナでたった1行のメッセージを送っていたものです。
それが僕の高校生時代の最先端であり常識でした。
その後インターネットというものが普及し、今やスマホ、LINEで世界中の友達と時間に関係なく繋がれる道具を一人一つ持っています。今はそれが常識です。
「常識」は時代によって変わります。
縄文時代と令和時代の日本人の常識も全然違います。
経済的には狩猟による物々交換→布や塩、米、中国貨幣→金銀銅→現行の紙幣貨幣→キャッシュレス決済・仮想通貨と「お金」は変遷してきました。
お金の常識、稼ぎ方の常識が時代とともにかわっているわけです。
常識で考えることがいかに不合理かを肝に銘じよう。常識とは多数派の理論にすぎない。
これも楽天の三木谷社長の言葉です。
常識こそ疑いましょう。