憧れ力
昔から何か気に入るととことん熱中する傾向があります。
追っかけをする人には到底及ばないので「にわか」かも知れませんが、自分が満足ならオッケーです。
長過ぎた受験生活が終わり独立して時間を自由に使えるようになったら、「好き」が行動するための動力になるんだなぁと気付きまして、行動力が増したように感じています。
行動するには「好き」になる
思い返せば、僕なんぞの凡人ではおよそ接点が無いような人に会えたり、そんな人たちと酒を酌み交わす仲になれたり、好きだっただけなのにその人から仕事を貰えたり…有り難いことが度々ありました。
これらは全て好きでい続けたからだったなと。人によっては「引き寄せの法則」とも言うでしょう。
度が過ぎたら単に危険な人になってしまいますが、常識の枠内での「好き」は程良い執念でもあり、それが体を動かして手が届くところまで導いてくれるのかなと。
僕の場合はコーヒーが好き過ぎて津々浦々のカフェを巡るうちに多くの出会いがあり、その中で人生に大きく影響する出会いもありました。
思えば僕の税理士試験生活も、苦しいだけの日々でしたが達成した時の自分だとか今この瞬間を頑張っている自分は「好き」でした。なので必ず税理士になるという執念が何度落ちても翌年また受験するという行動を生み出していたわけです。
おわりに
行動力の無い人というのは無趣味…とまでは言いませんが何か熱中しているものが無いんだろうなぁと感じます。
動き出さなきゃ何も変えられないというのは子供でも分かる事です(お金があっても「買う」という行動が無ければお菓子を手に入れられない。とか。※親がおやつをくれるじゃんなどという思考はここでは論外)。
それなのに大人になるほど出来ない理由、やらない理由ばかり並べて結局やりません。それが出来る人だけがどこまでも高みに行って雲の上の存在になるわけです。
やる前から「できるわけない」と決め付けてやらないというのは失敗に終わった時の損失を意識し過ぎて恐れているからでしょう。だったらやらない方がマシ。と。
そういう思考ではAIはもちろん、後から来た人にすら追い越されてしまうでしょう。あの時ああしていれば…と後悔しても後の祭り。未来に後悔を残さないよう、今から「好き」を増やしていきたいものです。
とか何とか言っておきながら、ムキムキマッチョマンなナイスガイに「憧れ」という意味での「好き」がかなりあるはずなのにシックスパックではなく横にスリーパックな私の下っ腹が言う事を聞いてくれません…。