万が一に備えて。
「まさか」は起こる
どういったわけか、仕事で行く先々で「まさかこうなるとは…」という話を聞きます。
今サポートしている税理士の事務所も前触れもなく突然に大動脈解離を発症し、ひとり税理士にも関わらず約半年の長期入院を余儀無くされました。
どんなご縁か、僕がそこにヘルプに入ることになったので顧客の流出は最小限に抑えることができました。
他所では無料相談の当番のとき、来た相談者のほとんどが身内が遺言書を残さぬまま死亡してしまい泥沼の遺産争いになっているとのことでした。中にはコロナによって急死し、遺言どころではなかったという方も。
そんな理由か、公証役場に遺言作成の予約者が多数来ているようで、約1ヶ月待ちとのこと。
突然襲来したコロナウイルスに家族や仕事を奪われたり、昨日まで元気だったのに今日突然倒れたり…今どんなに平和であろうと、明日は分からないものです。
明日は我が身。
そう警鐘を鳴らされているような、そんな気分になりました。
自身の労働力で食べていくというのは、いざというときに脆いものだなと。
今でこそ幸いなことに食べていけてますが、自身に何かあったら途端に収入が絶たれるわけです。
仮に入院となってもパソコンとネットがあれば病室で仕事はできますが、病気でそれどころじゃないという状態だったら絶望的です。
最悪、僕の顧客をすべて仲間に渡して、自身は廃業してそこに雇ってもらう。そういう手段もあるかもしれませんが…(生き残るために最後の砦となる資格を取った)。まぁ、雇われ人に戻るのは想像もしたくありませんが。
今サポートしてる事務所も時折り入院中の税理士から電話で指図が飛んできますが、やはり雇われ人には向かないなと(人助けなのでグッと堪えていますが)。
周りの非常事態を横目に、「明日は我が身」で対策をしなければなりません。特にお金の問題は深刻でしょう。
税理士としての報酬だけに頼ると今回のような状態になる。やはりそれ以外の収入源を構築しなければなりません。
「食べていけるくらい」となると一朝一夕では構築できないので、元気な今のうちから。
「増やす」のではなくて「生み出す」ものでなければ一時凌ぎにしかなりません。増やしたところで使えば消えますので、やはり生み出せないと。
サラリーマンだったら定年後も20〜30年は暮らして行かなければならない時代になって、老体にムチ打って食い扶持を稼ぐのは酷です…嫌です。
それまでにいくら増やしていても、日々減っていく預金残高を見るのも恐ろしいでしょう。
誰もが「年金なんてアテにならない」と言っているのに、具体策を講じてる人はほとんどいないなと感じます。
投資を始めたという人が周りにも増えてきましたが、住宅ローンを抱えた一般庶民の投資で100歳まで食べていけるかは疑問です。
その頃はAIが発達しまくってて人間が働かずとも食べていけるようになっていたり、ベーシックインカムが当たり前の世の中になっていないかなぁと内心期待しまくっていますが、今の政府を見ていると…妄想で終わりそうです。
お金を沢山持っている=幸せとは思いませんが、食べていけないとか毎月預金残高を見てため息をつくような生活も嫌です。
かといってお金のために働きっぱなしの人生も嫌です。
多少生活の質を落としてでも仕事量はキャパの70%くらい、老後は質素にカフェでもやって過ごす。逆算するとあと20〜25年。
この間をどう生きるか。着地点を定めておけば自ずと道は見えてくるもの。カーナビも目的地を指定しないと道を教えてくれません。
自分の人生もまず目的地を定めて、じゃあそこに行くにはどうしたら良いのか、先を行く人に聞いたりしながら進んで行って、もし目的地を変えるような事があればまたそこから新たな道へ。
そこに意識がいっただけでも光明が見えたかなと。
未来なんて見えないから結局は成り行き任せだよ。という意見もありますが、それでも準備をして進んだ方が良いと思います。
手ぶらで山に行ってキャンプ道具が無いから海に行ったけど海パンも無いから…というようではロスばかりです(レンタルあるよという設定は無視で)。
人生や時間には限りがあるので、周りと同じことをしているのではなくて考えて行動を重ねていかなければいけないなぁと。
本当のところはいつもネガティブ思考で危機感感じて焦って動いてるだけなのですが、それがどうも周りの人には「行動的」に見えるようで、行動力ゼロだった自分が変わったなぁと。
これも歳のせいでしょうか。