ネタ探し人生

思えば子供の頃からネタになる人生を歩んできたものです。

まぁ、狙ってないのにネタになってしまったというものですが。

代表的なのは、小学生の頃に翌日の体育で逆上がりをやるのが嫌過ぎて、前日のうちから「お腹が痛い…」と演技をしてクラスメイトに怪しまれないように…と策を弄しました。

帰宅後も「お腹が痛い…」とおやつや夕飯も我慢して、正露丸を飲んだフリをし、どうにか学校を休みました。

それで医者に連れてかれたわけですが、先生にお腹を押さえられて離されて、「弾む感覚ある?」と。

押さえて離すので当然、腹の肉が弾みます。

素直に「はい」と答えたら「盲腸なのかもしれないね」と、総合病院に紹介されて、あっさり「切っちゃいましょう」と。

大事になってしまい、今さら「嘘です!仮病です!」などと言えるはずもなく…。

切られました(笑)

1週間の入院です。

痛くもない腹を切られました。

執刀医は「少し炎症を起こしていました」と両親に説明したそうですが、まぁ、何ともありませんでしたとは言えんわなと。

未だに内緒にしている、墓まで持ってく秘密です。

と、今では笑い話なのですが、コレに限らず笑い話のネタが尽きません。

税理士試験もそう。

簿記論なんて一発で合格する人が多いのに僕は真面目にやったつもりで18年かかりました。

出口が見えないトンネル、明けない夜を永遠に進み続けるような感覚はポンポン合格していくエリートには分かってもらえないでしょうし、税理士試験を受けていない人には「向いてないよ。諦めたら?」と言われたものです(当時の婚約者にも逃げられました)。

それでも、チャレンジする事を諦めなかったのは何でだろうなぁと考える時があります。

逆境は大嫌いですし、性格はドSのはずです。

それなのに選ぶ道がことごとく逆境に通じているのです。

独立して「ひとり税理士」としてやっているのもそう、共済事業の仕事もそう、四十路で独身でいることもそう…。

何かと他人からは違って見えるようで、さまざまな「ご指摘」を頂きます。

でも、その「ご指摘」どおりに生きたらさぞやつまらねぇ人生だろうなぁと。

その人の人生で培われたものを僕の人生に押しつけられても、地獄の税理士試験や志があっても理解してもらえない新しいビジネスの場で闘ってきた僕の価値観には合いません。

むしろ「その程度のことでそこまで落ち込むかい?」と内心思ってしまうほど、修羅場をくぐり抜けてきましたので。

僕が意見として拝聴するのは「自分に無い力を持っている人」「欲しい物を持っている人」です。

欲望のままに言えば、お金の稼ぎ方を知っている人、人脈がある人、仕事も遊びも両立できている人…といったところでしょうか。

僕なんぞより遥か先を行く人なので、当然、理解に苦しむこともあります。

ですが、こうありたいと願うステージに既にいる人の話です。言わば憧れの人の知恵を見せて頂けてるわけです。

こういう時、「ちょっと考えてみます」はチャンスを逃します。

即断即決。走りながら考える。

そういう姿勢でいないとご縁すら失います。

No attack No chance です(佐藤琢磨の言葉)。

そういう姿勢で色々トライしてきましたので、失敗も多いですが、今では笑いのネタですし成功体験で傲慢になるのではなく、失敗から学ぶ姿勢で歩めているかなと。

何もしないくせに何かしている人の事を批判するような人間にだけはなりたくないし、そういう人とは例え旧知の間がらであっても今では距離をおくようにしています。

誰かの影響を受けて、誰かの言葉を信じるなら、「こうありたい」と願う姿の人を選びます。