おじいちゃんとダンディズム

定期的に神奈川県の秦野に行きます。

デザイナー兼カフェマスターの方のお店でコーヒーを頂くのですが、そこでよく会う常連のおじいちゃんと仲良くして頂いてます。

秦野駅前を流れる川沿いを歩くのが好きです。

今年70歳を迎えるというその方は、若かりし頃は東京の私鉄の”鉄道員”をされていたそうです。

その時代ならではの通勤ラッシュの話にはじまり、今日は久しぶりの再開ということもあってかマシンガントークでした。

「できません」はアウト

今日の話で一番刺さった話です。

高度成長期やバブル期を東京で過ごしたおじいちゃんは、およそ住む世界が違う人たちとも交流があったそうです。

上司に連れられて会員制のクラブに行っては「踊れ!」とダンスを要求されたり知りもしないシャンソンを歌えと言われたり、お茶の席に連れていかれたり…当然、できるわけがないので「ここはキミのような人間が来て良い場所じゃない」と言われ、片っ端から赤っ恥をかいたのだとか。

でも「もう嫌だ、二度と行かない」とはならず、片っ端から習いに行ったそうです。

ダンスを習い、マンツーマンの歌のレッスンにも行き、茶道や三味線の稽古にも通ったとのこと。

「できませんはダメ。相手につまらなそうと思われたら二度と声をかけてもらえないよ。だから何でもやったんだ。」と。

その時培ったスキルがその後、接待の時や女性とデートする時など、いろいろな場面で役に立ったそうです。

人と会う大切さ

「今はスマホでなんでも解決できちゃうけど、それが良くない」とも仰っていました。

ネット検索すれば、たいていのことはその場で解決できるので便利なんだけど「個」になりがちだと。

例えば何か料理を作るとき、クックパッドやYouTubeを見れば分かりやすくて美味しく作れてしまいます。

が、そうではなくて料理教室に通えば、お金や通う手間はかかるけど、そこに人との出会いがある。と。

おじいちゃんは数々の習い事をしていた先でたくさんの出会いがあって、その中には普通に生活していたらおよそ縁が無いであろう世界の人との出会いもあったそうです。

高卒の鉄道員が某国大使館のお抱え医師の御息女を知り合って、デートでゲーセンに連れていったら、その女性は「こんな所は初めて来た」とすごく楽しんでくれたとか、別の女性が会社に手作り弁当を持ってきてくれたとか、今の時代では聞かないようなロマンスがいっぱいでした。

そして、出会った人とは男女問わず「またどこかでお会いすることもあるでしょうから、さようならは言いませんよ」と言って別れたそうです(その後、本当にばったり再会したこともあったとか)。

すごくダンディーで紳士的なおじいちゃんという印象は、そういった過去の経験からなのかと謎が解けました。

おわりに

おじいちゃんの話を聞いていると、「今やる!すぐやる!全部やる!」という人なんだなぁという印象でした。

20代の頃にこういった経験をしているから70歳を迎えても引きこもらず外に出て、孫のような歳の差があるマスターさんのカフェでひとり珈琲を嗜む。そこでたまたま息子ほど歳の差が離れた僕と昔話をする。

「今、あなたとこうして何の気なく話しているけれど、ボクの性格とあなたの性格、それとボクが東京に住み続けないで秦野に戻ってきたこととあなたが遠くからこの店に来ていること、この店のマスターさんがたまたまここでお店を開いてくれたこと…たくさんの偶然が重なって成り立っている、とても不思議なことなんだよ」と言ってくれました。

そして僕にも「だから、ボクはあなたにもさよならは言わない。ボクはいつも土曜日に来るからね」と。

自分も含めてどっぷりスマホ&ネット依存している今だからこそ、そこに活路を見出そうとばかり考えていましたが、だからこそ労を惜しまず「会う」ことを大切にする。

コロナ禍では対面は躊躇する部分もあるけれど、そこは可能な範囲で、直接会えないからと電話やメールだけで終わるのではなくzoomやSkypeなどで画面越しに「会う」など、便利すぎる世の中だからこそひとりで解決しないであえて仲間を見つける。

そういう姿勢があればダンディズム溢れる老後を迎えられるかなぁと。

今でこそ20代の学生や新社会人に税理士試験の体験談や会計事務所業界のことなどを伝える機会が増えましたが、そこにダンディズムというエッセンスを加えて、さらに20年後、30年後、僕もこのおじいちゃんのような雰囲気を纏えたら良いなぁと決意を新たにした次第です。