自分の「正しいと思ったこと」をする
独立して意識的にやっていることで「正しいことをする」というのがあります。僕が思うなりの。
それが誰かにとっては「正しくないこと」かもしれません。
例えば、「前の税理士はやってくれた」とか「前の税理士はもっと安かった」とか「前の税理士は資料を取りに来てくれた」とか「前の税理士は夜でも来てくれた」とかとか。
溜飲の下がらぬ思いをすることもしばしばありますが、「自分にとっての正しいこと」を選び、続けていられるうちは心折れるとこなく、へこたれることなく、やっていけるのかなと。
恋人や夫婦、同じ夢を共に追いかけたバンド仲間でさえ「方向性の違い」ですれ違ってしまうのが人間。
なので、そういった価値観の違いからくるご指摘も承知の上で、自分の精一杯で働いていきたいなぁと。
「働く」とは「旗楽」、「側楽」という所に語源があるのだそうです。
字のとおり「人の側で動く」と書いて「働く」。側にいる人を楽にさせてあげるために動くから「はたらく」、自分の取り巻く環境の旗色を良くする(楽にさせる)から「はたらく」なのだとか。
セミナーで聞いたことの受け売りですが。
便利過ぎる世の中になって、日本人も個人主義、悪く言えば自己中心的な人が増えたように感じます。その人なりの正義なのでしょうが。
「一度きりの人生だから悔い無く生きたい」と、良くも悪くも自分の心に素直すぎるように感じます。
確かにそれも「自由」なのですが、「自由」というのは本来「思い通りになる自由」と「思い通りにならない自由」がセットであるはずです。
例えば深夜にストレス発散で自由に騒いでいたら、近隣住民の「快眠したい」という自由が侵害されて怒って出てきて、騒ぐ自由が侵害されるでしょう。
僕は「すべての人が他の人の自由を侵害しない、一般常識の範疇での自由を謳歌する権利がある」と、考えています。
それが僕が思う「正しさ」だとか「正義」というものです。
僕がちょっとばかりの安定を棄てて独立し、人も雇わずひとりでやっている理由がそれなのだろうと。
そんなこんなで、明日もまたサポート案件をこなしつつ自分の仕事もするという、二つの事務所を往復する営業です。
人それぞれ置かれた環境は違えど、何かしら我慢していること、理不尽なことなどあるかと思います。
それでも、いくつになっても、自分が一番輝くことができる何かを大切に、お互い挑み続けていきたいものです。