めんどくさい事に価値がある

40年前の原付のキャブレターも自分で分解してオーバーホールしています。

恵まれ過ぎてる世の中だから

ありがたいことに今日の日本は普通にしていれば食いっぱぐれることはありません。

ネットでポチれば翌日には自宅に届くし、食事でさえ持ってきてくれます。

お金を払えば自分にできないことを全部誰かがやってくれます。アフガンの混迷など想像つきません。

それくらいありがたい国でのほほんと生きられることはチートでしょう。

そんな中で今やっていることが40年前のバイクの修理。

元々10年前に旧車の扱いに定評がある岐阜のホンダシングル専門店で購入したモトラ。

40年前のバイクとは思えないほど調子が良かったのですが、仕事と受験の両立であまり走れていなかったのに独立を機に実家に置いてきてしまい、とうとうエンジンがかからなくなってしまいました(ガソリン入れたままの放置はご法度)。

仕事で近場のお客様周りをするのにバイクが欲しくなったので使おうとしたら動かない…。

近場に古いバイクを治してくれる店も無い…。

意を決して自分でやる事にしました。

整備士ではないので知識はありません。どうせ動かないのだから分解してダメにしても変わらないやと。

困らせてくれる方が楽しい

もしも何のメンテナンスもいらない、壊れたらすぐ治してもらえる、そういう物だったら愛着も湧かないし「道具」「消耗品」としか思わないだろうなと思います。

現代の身の回り品のほとんどがそういう使い捨ての物です。

まだ着られる服も流行りが過ぎれば手放し、スマホやゲーム機も新機種が出れば目移りし、食べ物だって残して棄てる人もいます。

世の中これらのひとつも持てない人がいるのに。

アフガン情勢や世界の貧困層のドキュメンタリーを見て、日本故の苦労があるとはいえ恵まれてるなぁと感じます。

別にそういった格差に衝撃を受けたわけではありませんが、「ラクするのはよくないな」というのは税理士試験を終えてから置かれている世界の変化を体感して強く感じるようになりました。

コロナ禍や格差の広がりでやいのやいの言う人をテレビで見ますが(テレビ故に煽っているのかも)、自らを顧みず権利ばかり主張する人間が多いなぁと感じます。

今までが恵まれ過ぎていたからか、少しでも自分の思い通りにならないと過剰に牙を剥くというか、とにかく自己中心的な人が増えたなぁと。

割り込みを注意したら逆にキレられたり、ご飯屋で騒いでる子供に注意したらその母親に睨まれたり…え?こっちが悪いの??みたいな。

僕の人間嫌いの根っこはそこにあります。

僕はまずは自分のことは自分でやって、それでダメなら人に頼る。ということを習慣にしています。

それを時間と労力のムダと言われたりもしますが、そこは価値観の違い。

例えばドラクエやファイナルファンタジーを攻略本を見ながらサクサク進んでクリアするのと何度もやり直しながら進んでいくのとどちらが楽しいですか?の違いと同じです。

僕は安全な道を最短ルートでというのは求めていません。

寄り道したり違う道を通ってみたり、そうやって新発見をするのが好きです。

今回のバイクの修理もやればやるほど必要な道具が出てきたり、さらに他にやるべきことも出てきたり…一向に終わりません。

当初、プラグ交換とキャブレターの洗浄程度で終わると思っていたのに、放置して劣化していたガソリンの始末やタンクの内側の錆取り、取り外したついでにタンクの外側の錆び取りと錆止め塗装…果てはバッテリーレスへの換装や電球の交換。「どうせやるなら」とあれやこれや手を出しています。

全て組み直してガソリン入れて火がつくかは分かりません。

でもそれが楽しいのです。

最初は「元に戻せなかったらどうしよう」と恐る恐るでしたが、やってるうちに慣れてきます。

相応のお金を払って満足させてもらうのではなく、お金を払って苦労を買って満足を掴みに行く。

この違いは大きいと思います。

今でしたらキャンプがブームなので、それと同じかなと。快適な家での生活からあえて離れて不便な山中で火を起こして虫と格闘しながら寝心地の悪さを楽しむ。

そこで金にモノを言わせて発電機とか便利アイテムで完全武装してしまったら意味がありません。

雰囲気だけ感じられれば満足なのか、ちゃんと体験したいのか、時間が経つほど色々な差が出ると思います。

おわりに

僕はめんどくさいことに価値があると思っています。

同じ食べ物でもおにぎりとフランス料理の値段が違うように、同じ服でもTシャツとドレスの値段が違うように、いくつものめんどくさい工程を果て価値が付加されていくわけです。

これは自身の人生も同じでどれだけめんどくさい事を乗り越えてきたかで人としての価値に差が出ると思っています。

同じ野球部でも遊びたさに帰宅部化した人と大谷くんやイチローの差も、元々は野球部入部初日という同じスタートラインがあったわけです。それは「才能」の一言ではないことはイチローも言っています。

今更そんな一角の人間になれるわけがありませんが、自分の人生くらいはコントロールしたいなと。

生活のため、家族のため、と理由をつけると同時に「自分のため」も死守する。そんな暮らし方をしたいなと思いながら今日もオイルの臭いが取れない指先でこのブログを書いています。

あとはOリングが届けば修理完了。のはずですが、問題はガソリンを入れてエンジンがかかってくれるのか…自信はありません(笑)