是非是非詐欺
自身の年齢を感じる事が増えてきました。
最近、10歳以上歳の離れた若者たちと接する機会が増えてきて、価値観や常識の違いを痛感することが度々あったためです。
昭和54年生まれは根性論世代
僕の10代は体罰上等、先生や先輩など目上の人は絶対、そんな時代でした。
先輩と目が合うと「何ガンくれてんだ?あ?(何見てるんだの意)」と胸ぐらを掴まれたものです。友達と喋りながら歩いていたら何の面識も無いワルそうな連中に絡まれたこともあります。
カツアゲ、リンチ(すっかり死語ですが)、タバコやシンナー、窃盗、空から残飯が降ってくる…というものが日常的に本当にあった中学校でした。
先輩だけでなく、先生も忘れ物や宿題をしてこないと体罰は当たり前。そのくせイジメとは向き合わない、職員室横の小部屋は喫煙ルーム。
部活でも結果を出せないと根性ビンタやゲンコツ。罵倒もしょっちゅう。
そんな時代でした。今ならパワハラだと大問題です。
もはや旧世代の自分
そんな10代を過ごしてきたからか、生ぬるい、軟弱な人が増えたなぁと感じる事もあります。
「う〜ん、それは努力が足りな過ぎるでしょ」と思う時もありますが、時代なので…遠回しに幾重にもオブラートに包んでポジティブ変換して伝えます。凹ませちゃダメなようなので。
直接的に、ストレートに、ずばり言ってしまうと傷付く人もいるので、日本語は難しいです。
そんな時代の「是非是非詐欺」。
自己中心化した時代
いつの頃からか「人生は一度きり。後悔なく生きよう」というような言葉をよく聞きます。他人なんか関係ない。自分中心に生きろ。と。
そのせいか、対人の礼儀が軽んじられているなぁと感じます。
特に最近は「是非!」と言う若者が信用できません。とある20代の経営者に聞いてみたところ「是非」も社交辞令である。と。
歳上や目上の人の言うことは断りづらいから「是非」と言ってしまう。だけど本音はやりたくない。ということなのだそうです。
時代は変わったなぁと痛感します。
おわりに
細かいことをあえて書きますが、この場合の「是非」は副詞として使うので「必ず」「どうあっても」という意味になります。
「是非誘ってください!」と言われて、これを社交辞令ですよ?と断られるのは理不尽ではないでしょうか。ただの嘘つきです(残念ながらこの人のサポートは打ち切りました)。
大学院進学を考えているという若者に時間をかけて丁寧に返信しても「ありがとう」もなく終わりましたし、僕の価値観では理解に苦しむことが増えてきました。
上から目線だったり偉そうにしている税理士像が嫌で親切・丁寧を意識していましたが、誰にでも親切にするのは限界があるようです。
今っぽく言うと、僕も限りある人生の貴重な時間を割いて対応しているわけなので…今後、礼儀がなってない、熱意を感じられない、そういう人へのアドバイスはお断りさせて頂くかもしれません。悪しからず。