「べき人間」をどうしたもんか。
物事を難しく考えてしまったり、柔軟に捉えられなかったり、そんな性分が自分にはあります。
そんな時ほど「ああすべきだった」、「こうすべきだった」と自分にプレッシャーをかけては落ち込む…そんな一面があります。
他人に対して「◯◯すべき」ということは出てきませんが、自身に対しては我ながらめんどくさい性格です。
長過ぎた税理士受験生活の産物
たびたびブログのネタにもしていますが、僕は税理士になるのに18年もかかってしまいました。
今でこそ「よく続きましたね!」「忍耐力すごいですね!」「努力家ですね!」と褒めて頂けたり珍奇なものを見る目で見られたりしていますが、受験時代はとにかく「べきべき」の塊でした。
合格できない=努力不足=もっと勉強すべき
といった具合です。
飲みに行くより勉強すべき、
恋愛・結婚の前に合格すべき、
残業よりも税理士受験を優先すべき…
今思えば、この凝り固まった考え方が「努力のしかたを間違っている」と言われた原因なのかもしれません。
他人に対しての「べき人間」は…。
一方で、ネットの書き込みやテレビ番組の視聴者ツイートなどでは頻繁に「◯◯すべき」という言葉を目にします。
僕も「べき人間」ですが、他人に対してべきべき言ってる人間はいかがなものかと思ってしまいます。
他人に対して「◯◯すべき」と言う行為はその人を否定して、言ってる本人の意見を押し付けているようにしか見えません。
度々くる一方的な営業もそう。
顧客を増やしたければ◯◯すべき、
業務を効率化したければ◯◯すべき、
従業員の独立を防ぎたければ◯◯すべき…
僕はひねくれた性格なので「なんでお前に言われなアカンねん!」ってなります。
おわりに
「言葉」は使い方を誤ると「言刃」となって相手を傷つけます。
特に僕のような人見知りする人間はコミュニケーションに長けてないので気を付けないと誤解を与えかねません。
気を付けているつもりでも不快にさせているかもしれないし、言った後で反省することもあります。
特に相手に投げかける言葉は「べき!」ではなくて良かった面に着目して「良いね!」って言うように心掛けています。
するとどうでしょう。僕のような人間でも慕ってくれる人がちらほら現れ始め、コミュ症を信じてもらえなくなってきました。
それが仕事の依頼に繋がっていけば万々歳なのですが、まだまだ道は険しいようです(笑)