是非是非詐欺というやつ

最近「是非」という言葉に疑問を持つようになりました。

親の顔が見てみたいと思う事も…。※原哲夫先生の公権力横領捜査官中坊倫太郎より

「是非」とは、どんな困難も乗り越えて実行しようとするさま、心を込めて強く願うさま、とされています。

「是非お願いします」と言われたら、確約が得られた。と思うのが一般的かなと。

ところが、近頃はそうでもないようです。

「是非」が社交辞令なのだそう。

時代の変化か、語学力の無さか。

今のご時世で「僕は」「私は」を「拙者は」「某は」などと言わなくなったように、時代の流れと共に言葉は変わってゆくものですが、「是非」と言っておきながらそれをしないというのは…ただの嘘つきじゃないかと思うのです。

見込客や初対面の人と会って、「是非お願いします!」「是非また誘ってください!」と言われたら…それを社交辞令だと捉える人ってまずいないのではないでしょうか?

その気も無いのに安易に「是非」と言うのはいかがなものかと。

おわりに

期待させておいて見事に裏切ってくれるので「是非是非詐欺」と呼んでいますが、昭和のおっさんだけでなく、一回り以上歳が離れている人に聞いても身に覚えがあると。

ここのところ立て続けに安易な「是非」に触れることがあり、ようやく表情や話のノリなどで「是非」が本気なのか薄っぺらいのか判断できるようになってきました。

「断るのは気が引けるのでとりあえず是非」なのだそう。いささか浅はか過ぎますが。

出来もしない「是非」は自分の評判を落とすだけ。日本語をもっと学んで言葉を学ぼうと思った次第です。