努力のしかたが間違ってる。
僕が受験時代に一番多く言われたことです。
じゃあ見せてもらおうか、「正しい努力」とやらを!
と思ってもそれは誰も教えてくれませんでした。
大原の先生やサクサク結果を出していく受講生は口々に「簿記論はとにかく総合問題!」だの「理論は読んで覚える!」と言います。
その通りやりました。
学内や全国模試では常にトップクラスでした。
それでも本試験で何度も落ちました。
そうなると「お前はメンタルが弱い」「受け続ければいつか合格しますから…」で終わりです。
当然、緊張はします。
一年の頑張りをたった2時間の試験で判定される上、この上ないほどの勝てば官軍負ければ賊軍の世界ですので(事務所では不合格になると受験していない職員の嘲笑とボスの嫌味があります)。
緊張してもちゃんと解けていたし手応えもあった。それでも不合格だった。
結果が全ての世界なので、「それじゃあ何かしら努力が足りなかったんだよ」で終わりです。「何かしら」を詳しく言ってくれよ!と思いますが。
簿記論が合格できないなら税理士に向いてない。
何歳まで続けるの?そろそろ諦めたら?
などなど、今でも根に持っててこういったアドバイスは全部覚えてます(笑)
日本社会は常に結果を出さなければ切り捨てられます。
だから脱サラして自然豊かな土地へ引っ越す人が増えているのでしょう。
僕の友人はオンライン環境で税理士補助業務が可能なので家族でオーストラリアに移住しました。彼には日本という環境が窮屈だったり違和感があったようです。
ひとり税理士ではそういうわけにも行きませんが(必要な時だけ帰国すれば可能でしょうが)、「ひとり」という環境ならこの国でもずいぶん自由に生きられます(同調圧力に屈しなければ)。
そんな新しいステージに立つためにも、とにかく税理士試験を終わらせなければいけません。
努力が足らないのではなく、工夫が足らないだけ。
ゲッターズ飯田さんの言葉ですごく刺さったものです。
直前期は有給休暇を全部注ぎ込んで一日12時間以上勉強していました。直前期でなくても、今頃の時期からGWも遊ばず休みの日は勉強していました。流行りの「家でアマプラかネトフリ」は1秒もありませんでした。
当時は「自分は出来が悪いポンコツなんだから、せめて勉強量だけは誰にも負けないようにしよう」と、がむしゃらに問題を解いていました。
講義の予定表にある宿題は完了させるのが当たり前で、講義前のミニテストも余りを貰って解き直したり、自分の苦手な分野をテキスト読み直したり…先生やデキる人のアドバイスを忠実に受け入れて、自分なりに考えて計画的に勉強していたつもりです。
そこに「工夫」は無かったなと。
先生やデキる受講生と僕は違う。
違う人の成功体験が自分に合うか分かりません。
結果を出せない自分を卑下して信用せず、どこぞの意識高い系の人のことを盲信していました。
今になって考えてみると、すぐに結果を出せる人はイケイケドンドンの積極的な性格のように感じます。受験ばかりでなく何事にも。
僕と正反対です。
そんな人たちの成功法則が僕に合うわけがない。
それに気付けなかったから無駄に長い年月と多額のお金を費やしてしまったなぁと。
簿記論に合格できて受験生活が終わった年は、自分なりの創意工夫が出来ていたように思います(前回のブログ「我流ハイブリッド理論暗記法」など)。
おわりに
今、頑張っているつもりなのになかなか思うような結果を出せない人は、アドバイスをくれる人や応援してくれる人がどんなタイプの人かを今一度よく見てみた方が良いでしょう。
例えば、ウクライナの人たちの気持ちを僕が本当の意味で分かってあげられているとは思えません。でも祖父母世代の戦争体験がある人たちなら空襲で大切な人や財産を失った気持ちを知ってるので、ちゃんと寄り添えるでしょう。
税理士試験もそれと同じかなと。
なかなか結果を出せない人は、そういう経験を戦い抜いた人に聞く。サクサク結果を出せる人は自然とそういう人の集まりに寄っていく。
そういったところから自分なりの「工夫」が培えるように思います。