院免という選択肢

僕の税理士になるまでの道程は、簿記論、財務諸表論、所得税の3科目と大学院による税法の2科目免除です。

税理士の勉強を始めた頃は当然5科目の官報合格を目指していました(そもそも静岡で免除がある大学院など無いと思っていました)。

もっと言えば、免除を受けるのは試験から逃げる事だと思っていました。

しかしながら大学を卒業してから税理士の勉強を始めて、その後16年簿記論に落ち続けていて、四十路を目前に控えてみると「いつまでもこんな事していられない」という焦りと、いつまで経っても結果を出せない自分に苛立っていました。

そんな中で、親が経営している事務所を継ぐべく大学院に進学した人と知り合う機会があり、地元で仕事をしながら免除を狙える大学がある事を知り、最初は葛藤もありましたが地元の国立大学の大学院を受験しました。

逃げどころか追われ続けた大学院生活

僕は当初、大学院に行けば労せず税法の2科目免除が受けられるという程度の認識でした。

しかし、冷静に考えてみれば、あの地獄の税理士試験を2科目も免除してくれるわけです。

日々の講義はこれまで読んだ事もない分厚い財政学や経済学、租税法などの文献を用いて、毎回レジュメの作成やレポートの提出が課されました。

大学院に来たのだから、大学4年間の知識は標準装備が当たり前。というスタンスで、教授の口からは聞いた事のない難しい経済用語や税法用語がポンポン飛び出します。

会計学に至っては英語の文献を使い、すべて英語で行うほど(これは無理だと悟り、履修登録を抹消しました)。

税理士試験は5月あたりから猛烈な地獄の日々が始まりますが、院免は大学院の2年間ずっと地味な地獄が続くといった感じです。

そして大学院の2年目の秋頃から修士論文が大詰めになり、年明けは正月休みもずっと論文を書き続け、卒業式の数日前まで微調整をするほどの長丁場でした(日々深夜までパソコンに向かっていました)。

仕事と大原と簿記の勉強会と大学院。

我ながらよくもまぁ四足のわらじを履きこなせたなぁと。

つまり、院免はラクじゃない。ということです。

本試験のような緊張感は最後の口頭試問という卒業面接で経験します。

教授が3人並び、僕の論文に対して集中砲火を浴びせてきます。博士号を持つ教授の前に修士論文など一瞬でダメ出しされます。

僕の同期は2人、ここで留年となりました。

目標と目的を取り違えない

僕がバカにしていた院免を選んだ理由は、「税理士になった後」を明確に考えていたからです。

税理士になる事はゴールではなく、税理士バッジがついて初めてスタートラインに立てるわけです。

官報合格に拘って何年も時間を浪費していては限りある人生の若い時間を失うことになる。

やりたい事がすべて後回しになっている状態で20〜30代が終わった事に後悔しかありませんでした。

大事なのは手段じゃない。どんな税理士になってどんな仕事をして、どんな人生を歩みたいかです。

そう考えたら官報合格などどうでもよくなりました。

今でも時々、院免をバカにする人がいますが、そんなの仕事で示せば良いわけです。

資格の学校では足の引っ張り合いやライバルを敵視する風潮が常にありましたが、大学院では同じ志を持って集まった同志という連帯感がありました。

卒業後も定期的に集まって情報交換や近況報告などしてますし、気軽に仕事の相談もし合える関係を保てています。

もちろん、官報合格を目指すことはかっこいいことだと思いますが、どんな税理士になりたいのかを明確にし、最短距離で税理士になること。それを達成するには大学院という選択肢はオススメです。

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